霊峰富士と東口本宮 冨士浅間神社
延暦21(802)年の富士山噴火の折の鎮火祭、大同2(807)年に鎮火報賽のために創建、その後には富士信仰による東口=須走口登山道の起点と守護神となり、平成25(2013)年には富士山が世界文化遺産に登録された際にはその構成資産として当社も登録されるなど、創建から現在に至るまで、当社は富士山とともに時代を歩んで参りました。
その東口=須走口登山道の各所には、富士山の守護と御神徳に肖り、登山者・山小屋などをお護り頂くために、古くから当社と地元・須走の方々によって祭祀が執り行われてきた神社=当社の境外末社が鎮座します。
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9合目 迎久須志之神社
須走口9合目に鎮座し、頂上を目前にした胸突と呼ばれる急峻な場所に位置します。創建に関する詳細は不明ですが、元禄3(1690)年には、その存在が文献にて触れられております。
神仏習合の江戸時代、須走口の頂上には薬師堂(現在の富士山本宮浅間大社奥宮・久須志神社)が存在し、薬師如来が安置されていました。これと同様に、9合目には迎薬師如来が安置され、薬師堂という仏堂でありました。仏堂の時代であっても当社の神主と地域の方々により管理しており、さらに一時期までは頂上・薬師堂も同様でありました。
明治時代に入ると神仏分離令によって迎久須志之神社となり、迎薬師如来に替わり、同様に薬事・医療を司る神・大己貴命と少彦名命の2柱が祀られ、現在に至ります。
迎という字については諸説ありますが、現地には日の御子石と呼ばれる石があったり、地平線から昇る朝日を、見上げあるでもなく見下ろすでもない位置で御来光(御来迎)を迎える場所であることから、この名前がつけられたとも考えられております。
現在は山肌崩落や積年による劣化、心無い登山者による不法行為により損傷が著しく進んでおり、現在は改修事業も含めて今後の在り方を検討しております。
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6合目 胎内神社
須走口本6合目に鎮座し、御祭神は玉輿里比売命姫(玉依姫命)とも、富士山の女神である木花咲耶姫命とその息子である彦火火出見命とも伝わります。
創建に関する詳細は不明ですが、須走口に存在する胎内(火山活動で形成された洞穴で、女性の胎内に似ていることからこう呼称される)に鎮座している関係から、富士山の女神・木花咲耶姫命の胎内であり、息子・彦火火出見命が祀られたと考えられています。
御祭神の関係から、登山の安全とともに子育ての御神徳があり、登山を通じて子供の健全な成長を祈願することに想いが込められいたことが伺えます。
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5合目 古御嶽神社
須走口5合目に鎮座し、山の神で木花咲耶姫命の父・大山祇神、木花咲耶姫命の息子・火須勢理命、山の水の神・高於賀美命をお祀りしております。
又、富士山太郎坊なる天狗にも御縁があるとされ、天狗面や大下駄が備えられています。
かつての登山者や富士講信者は、冨士浅間神社を参拝した後、この古御嶽神社で登山の安全を祈願し、また下りてきては登山の無事を感謝しました。
例祭日は8月17日で、現地にて古御嶽神社とともに、遥拝形式にて胎内神社・迎久須志之神社の例祭を合わせて斎行しています。
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4合目 御室浅間神社(現在は古御嶽神社に合祀)
須走口4合目に鎮座し、富士山の女神・木花咲耶姫命と、夫であり皇孫(天照大御神の孫)である天津日高彦火瓊瓊杵尊の夫婦神が祀られています。
富士山が女人禁制だった時代には、女性の登山はこの神社までとされ、ここから富士山を遥拝し、登山に替えておりました。
創建に関する詳細は不明ですが、登山を通じてこの夫婦神の縁結び・安産・子育ての御神徳を戴くことと、女人禁制が結びついたことが一つの由来として考えられています。
昭和後期、登山道の変遷に伴い5合目・古御嶽神社に合祀されました。
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2合目 雲霧神社(現在は古御嶽神社に合祀、また小山町音渕に遷座)
須走口2~4合目(推定)に鎮座し、伊邪那岐神・伊邪那美神の子である、風の神・級長津彦命と級長津姫命の夫婦神が祀られています。
創建に関する詳細は不明ですが、この場所は富士山と下界とのおおよその境目と考えられおり、ここを守護する神社として考えられています。
また、須走は低気圧の接近によってもたらされる、富士颪(ふじおろし)と呼ばれる富士山から吹き降ろす強烈な北風が存在することから、これを神格化したとも考えられています。
昭和後期、登山道の変遷に伴い5合目の古御嶽神社に合祀するとともに、小山町音渕に遷座されてました。
よくある質問 Q&A
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どうして「富士」ではなく「冨士」と書くのですか?
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とくにこれといった社伝は無く、昔の文献を見ても「冨」のときもあれば「富」のときもあり、一定しておらず、その由来には諸説がございます。
そのうちの1つは、富士山を簡単に絵に書くと、ワ冠のような図になりますので、「冨」としたのではないかと考えられております。
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鳥居にある「不二山」とはなんですか?
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富士山には、もともと多くの当て字が存在します。「不尽山」「不死山」等々……そのうちの1つに「不二山」がございます。
鳥居は明治33年に当時の氏子より寄進されたものであり、不二山は「二つも無い(=不)、綺麗で偉大な山=富士山」という意味であります。
また、文字・筆跡は富士講の先達により贈られた文字を模して作成されたものと伝わっております。
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「信しげの滝」の由来を教えてください。
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先ず読み方ですが、「のぶしげ~」とも「しんしげ~」とも地元で呼ばれております。
「信しげの滝」という文字と位置、源流を「心身を浄め、行いを慎む川=精進川」とすることから、木々草花が生い茂る神社の森の中に水路が走り、精進川の水による滝壺に入ることで身を浄めてから、神に信心するべく境内に入るものではないかと考えられております。
また、滝壺や周辺整備の工事の折、「信しげ」と書かれた石が発掘されており、当社に点在する富士講石碑を鑑み、当社に所縁のある富士講の関係者ということも考えられております。
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狛犬はなんで3匹いるのですか?また、あの岩場は溶岩で出来ていますか?
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当社の狛犬は、通称「富士塚の狛犬」と称されております。
寄進されたのは、東京・麻布の富士講であり、諺に「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」というものがございます。
いわゆる「獅子の子落とし」とは、生まれた我が子に厳しい試練を与え、這い上がれるか否か、その器量を試すことで一人前に育てることが出来るというものであり、この諺に倣ったものと伝えられております。
また、足の岩場は溶岩石で築かれたもので、富士講信仰の特徴の1つ「小さな富士山・富士塚」を模して造られたものであります。本物の富士塚には登山するための道があったり、頂上に神社が鎮座しております。
千尋の谷ほどに厳しい山・富士山という意味合いが込められているのかもしれません。
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参道が2つありますが、どちらが表ですか?
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大鳥居のある方、社殿から真っ直ぐに伸びる参道が表参道であり、社殿から富士山側に伸びる参道は裏参道であります。
単純に表から参拝するのが一般的な正しいお参りの作法でありますが、当社は富士山須走口登山道の起点となる神社でもあります。古来より、登山者は大鳥居をくぐり、表参道から社殿へ進んで参拝し、登山の安全祈願が済んだら裏参道=須走口登山道へ向かうという作法をとっておりました。
必ずしも表参道から参拝しなければならないという決まりはございませんが、せっかく参拝なさるのであれば、正しい方法、また古くから伝わる順路でお参り頂ければと存じます。
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なぜ9合目に境外末社「迎久須志之神社」があるのですか?
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本来、富士山の8合目以上は浅間大社様の境内地でありますが、古くからの習わしと浅間大社様の御理解に依りまして、迎久須志之神社境内地は当社の飛び地境内となっております。
江戸期の神仏混淆の時代は、富士山は神道よりも仏教色の強い山でありました。9合目もいまは迎久須志之神社と称しますが、明治の神仏分離令までは迎薬師堂と称しておりました。
しかし、お寺であっても当時から当社の神主が管理を行っており、迎久須志之神社と改名してから今に至るまでも当社により管理を行っております。
現在、迎久須志之神社は諸事情により著しく荒廃・破損しており、開山時期であっても扉を開いてはおりません。現在は今後の在り方について、建替等の検討を行っております。
尚、須走口の5合目・古御岳神社、6合目・胎内神社も、当社の境外末社です。
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富士山本宮浅間大社(富士宮)や、北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市)と関係ありますか?
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直接的な関係はなく、それぞれは別個の神社・宗教法人であり、奉職する神主や職員も別であります。
浅間大社は全国1300余の、木花咲耶姫命を主祭神とする浅間神社の総本宮であり、富士山8合目以上は全て浅間大社様の境内地にあたり、頂上の奥宮や久須志神社は浅間大社様により祭祀が行われております。また、富士山・富士宮口登山道の起点となります。
尚、同じ静岡県神社庁所属でありますので、神主や氏子青年会等の交流は多くございます。
北口本宮様は、地理的には近いものの、山梨県神社庁所属でありますので直接的な交流はございません。当社同様、富士山・富士吉田口登山道の起点となっております。
また、登山道の起点となる浅間神社は、富士宮口・富士吉田口の上記2社のほか、御殿場口の新橋浅間神社(御殿場市)、河口浅間神社(富士河口湖町)がございます。
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御神木の樹齢はどのくらいですか?
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神社境内に生息する木を御神木といいますが、当社では御社殿脇にあるスギの木を1番の御神木として静岡県神社庁に登録しており、「寛永の杉」と申します。
この杉と、参道を挟んで対面にあるスギの木も、専門家の調査の結果、樹齢およそ350年とされており、当社境内で最も高い樹齢でございます。
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お水を頂きたいのですが、どうしたらよいですか?
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当社では、手水舎の龍から出る水をお汲み頂いております。
お持ち帰りする水の量にはとくに制限を設けてはおりませんが、お汲みする前に御社殿への参拝がお済ませになられてください。
尚、万が一水による食あたり等が発生した場合、当社では一切の責任は負いません。全て自己責任・自己管理にてお願い致します。
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宝永の清流は湧き水のように見えますが、本物ですか?
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水源自体は、富士山の湧き水からなる精進川であります。その一部を境内に引っ張って水路とし、これが信しげの滝となります。
また、引っ張ってきた水路の一部を利用して、宝永の清流を形成しておりますので、間接的な湧き水とお考えください。