境内・神苑
およそ五千坪の境内は緑樹鬱蒼と繁り、中には数百年を経た杉や落葉樹の御神木がそびえる。樹間からは四季折々、野鳥のさえずりが聞こえ、富士山麓に見る野草が可憐な花を咲かせている。
そして正面鳥居前には、エゾヤマザクラ(小山町指定天然記念物)が春には淡紅色の花を咲かせ、神門より北西側には、南限といわれる県指定天然記念物のハルニレの大樹が人々を迎えている。
また、正参道より南側社叢の”浅間の社”には水路が走り、境内入口で「信しげの滝」となる。ここは人々の散策路ともなっている。
さらに、登山道につながる裏参道脇には、「登山成就」を感謝した富士講等の記念碑群が富士講の盛んなりし往時を偲ばせてくれる。
境内・神苑
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本殿・幣殿・拝殿
当社の社殿。本殿・幣殿・拝殿が一体となっている権現造。現在の社殿は富士山・宝永の噴火後に再建された当時の遺構をそのままに修復・修繕を行ってきたものである。
その後も屋根の葺替えや修繕などが行われてきたが、昭和33年の修繕に際して屋根が千鳥破風に変更された。
平成19年の御鎮座1200年際に際し、記念事業の一環として大修理が行われ、同21年に竣功して現在に至る。外観はその際に整備され、塗装には大々的に漆が使われている。
尚、社殿の一部機構には江戸期の木材がそのまま流用されていることが確認されており、平成18年には小山町有形文化財に指定された。
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末社・社護神社
当社の境内末社の一社。かつては、日枝神社・山神社・琴平神社・霧島神社・高尾神社・社護神社という六社が境内末社として境内に点在・御鎮座されていたが、現在は社護神社として合祀されている。
御祭神は、社護神社の月讀命、日枝神社の金山彦命の他、13柱の神々を祀る。 例祭は、毎年十五夜の日に斎行。 その他、商売繁昌を祈願する高尾祭という祭典が、地域の高尾講により毎年12月1日に斎行する。
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末社・恵比須大国社
当社の境内末社の一社。かつて、当社社殿裏には裏神様が祀られており、その御分霊が小山町・富士紡の工場敷地内に祀られていた。工場内の事情により当社へと戻られ、当社の裏神様と合祀して、境内末社にて祀られることとなった。
御祭神は、大国主命と事代主命。例祭は、旧10月20に斎行する。
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祖霊社
当社が鎮座する小山町須走地区の氏子の祖霊を祀る。ここから、当社境内に隣接する須走護国神社(地区管理)を望むことが出来る。例祭は、春分の日・秋分の日に斎行され、合わせて合祀祭を執り行う。
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随神門
当社の表参道の中ほどに位置する神門。本殿同様に宝永の噴火で壊れたが、当時この地方を治めていた小田原藩主・大久保加賀守によって再建された。
表の両脇には、随神(門神)・櫛岩間戸神と豊岩間戸神が鎮座し、裏の両脇には例大祭で担がれる富士山神輿が二基納められている。扁額「國威震燿」は日清戦争の戦勝と兵士の健康を祈念し、神道扶桑教=富士講・村上藤丸講により寄進されたものである。尚、文字は小松宮彰仁殿下に依るものである。
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夫婦杉・貫通石祠
貫通石は、日本神話・神功皇后の段において、三日三夜不眠で掘り続けて貫通した洞穴から敵陣の背後を攻めて大勝した戦の折、その洞穴の貫通点にて生じて得た石を、お産時に枕元に置いたところ無事に出産し、第十五代・応神天皇が誕生したことから、安産に御縁を成すものとされた。
夫婦杉は、二本の杉が根を絡ませ、寄り添うように並び立つものを古くよりこう呼ぶ。当社の夫婦杉は一本に受胎したが如くの膨らみがあり、子を授かることに御利益があるとされ、願う夫婦がその膨らみを撫でていかれると、無事に授かり、また無事に出産したという話がよく聞かれる。
この貫通石祠は、それぞれの御神徳・御加護を殊更に戴くための祈りの場として設けたもの。 祠に用いた貫通石は、新東名高速道路谷ケ山西トンネル工事にて生じたもので、当社が現地の安全祈願を御奉仕させて頂いた御縁に想いを致し、神社より中日本高速道路㈱沼津工事事務所様にお願いしたところ、御快諾・御奉納を賜った。その後、地元の業者により石祠としての装いを整え、令和3年1月12日に祭始式を斎行。
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大鳥居
当社の表参道にある石製の大鳥居。明治33年に氏子より寄進された。扁額には「不二山」の文字が刻まれており、「二つとない(不)素晴らしい山=不二山・富士山」という意味である。他の神社では見られない当社特有の鳥居である。
又、大鳥居の傍らには、資料的に大変珍しい巨大な火山弾が置かれている。
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道祖神
大鳥居前に鎮座する路傍の神。当社のものは古く、男女一対の石像である。松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として登場するほか、集落の守り神・旅や交通安全の神として信仰されている。
1月のどんど焼きの際には、世話人により小屋が建てられ、道行く人からお団子を貰い、お返しに児童がお祓いするという風習がある。
自然・記念物・遺構
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富士講講碑群
江戸期後半から大正期にかけて隆盛した庶民信仰・富士講の各講社の登拝記念の石碑が並ぶ。記念として建立されたものや、講社の解散に伴い、講社の地元から移築・寄進されたものもある。
尚、富士登山では33回が1つの記念すべき区切りとされている。当社に残る石碑の中で最も多い回数は、和歌山県の方による899回である。当社の位置や当時の東海道本線(現・JR御殿場線)の交通の便から、東京・神奈川にかけての講から崇敬を集めていた。
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須走浅間のハルニレ
境内西側・浅間の杜の中に繁るハルニレの木。ハルニレの木は境内に数本が繁るが、もともとは北海道や寒冷地に繁る樹木であり、温暖な気候にある静岡県には珍しい樹木である。推定樹齢400年の大木であることから、昭和38年に静岡県天然記念物に指定された。
境内西側隣に接して通る鎌倉往還道からは背面を見ることが出来、半分近くが根上がりしている様子が伺える。
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冨士浅間神社の根上がりモミ・縁結びの木
裏参道の鳥居を入って右側に繁るモミの木。日本でも稀に見る奇観の根上がりをしており、学術上の価値が高いことから平成3年に小山町天然記念物に指定された。根の大部分が根上がりしているためにトンネルを形成しており、潜り抜けることが出来る。
モミ・ブナ・カシの木と隣り合うように繁っており、3本の木の根が複雑に絡み合っていること、また御祭神・木花咲耶姫命の御神徳から縁結びの木として慕われている。
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冨士浅間神社のエゾヤマザクラ
表参道鳥居前、右脇に繁るサクラの木。別名オオヤマザクラ。ヤマザクラの北方型で、静岡県が南限になり、その一本である。昭和58年に小山町天然記念物に指定された。
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信しげの滝
境内南、太鼓橋の左に位置する滝で、浅間の杜を走る水流が流れ出て滝となっている。名前の信しげの由来は不明。かつて滝の整備が行われた際に「信しげ」と書かれた石が発掘されたことから、一説では富士講関係者の名前であると考えられているが、推測の域を出ないものである。
四季折々に違った景色を見ることが出来る。とくに冬場では、滝が凍り巨大な氷柱(つらら)を見れることがある。
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富士塚の狛犬
境内中央、随神門前の両脇にある狛犬。 昭和7年7月に山三元講より寄進されたもの。 富士塚を模した岩場の上に「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」という、「獅子の子落とし」の諺を倣った親子の狛犬が3匹いる。 他に類を見ない珍しい狛犬である。
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浅間の社
境内の西半分を占める鎮守の杜で、数多くの野鳥・草花が生息し、四季により色んな景色を見ることが出来る。杜には「宝永の清流」という小川が水路と並行するように走っており、あずまやの前で池となっている。
また、水路の上には道が舗装されているほか、境内東側に連絡する小道も多く存在し、遊歩道を形成している。裏参道から入った場合には、参拝順路として遊歩道へ案内している。
社務所・建築
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社務所・記念資料館
表参道、大鳥居前の右脇に構える社務所。平成19年の御鎮座1200年記念事業の一環として建替えが行われた。御祈祷・御朱印の受付、御札・御守等の授与を行っている。社務所の中には講堂が設けられ、研修会や勉強会などを企画する希望団体に開放している。
社務所の2階は、御鎮座1200年を記念した資料館となっている。神社所有の宝物や史料類、氏子や富士講またその関係者より寄贈された資料が展示されている。合わせて富士山登山道須走口の歴史を知ることの出来る史料も展示されている。入館料は不要で、入館希望の際には社務所で受付する。
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日本野鳥の会記念碑
須走の地は、日本野鳥の会を創設した故中西悟堂が、昭和9年に日本で最初の探鳥会を開催した場所である。同会の創設70周年の折、その活動を顕彰するべく有志によりこの記念碑が建立された。
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授与所・参拝者休憩所
社殿前、参道左脇にある御札・御守等の授与所兼参拝者の休憩所。年末年始等の繁忙期などに開所する。休憩所は日中であれば常に使用することが出来、中には椅子や机を備える。
また、参拝記録帳があり、多くの参拝者の感想等を窺うことが出来、また記入することが出来る。尚、参道を挟んで対面の右側に厠がある。
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あずまや
鎮守の杜の中にある休憩所。 祖霊社や池、境内に隣接する須走護国神社(地区管理)を望むことが出来る。