木花咲耶姫命は、山の神・大山祇命の娘であり、磐長姫命の妹である。
また、天照大神の孫(天孫)・天津日高彦火瓊瓊杵尊の皇后になられた。
その貞節聡明・眉目秀麗の様は日本女性の鏡とされ、古くより国民から親しまれ、崇敬を集めている。
古事記「天孫降臨」の段に於いて、瓊瓊杵尊が高天原より笠沙岬に降り立った際に、木花咲耶姫命と出会い一目惚れし、后とした。
しかし、姫の一夜での懐妊に尊が疑問を抱いたため、それを晴らすために、姫は戸の無い産屋を作って籠り、さらに隙間は全て泥で塗り塞いだ後に火を放った。燃え盛る産屋の中で、姫は3柱の御子を無事にお生みになられたことで、その疑いを晴らした。
火が勢いよく燃え始めたときにお生みになられたのが、火照命(別名・海幸彦)。
火が盛んに燃え続けているときにお生みになられたのが、火須勢理命。
火が燃え尽きるときにお生みになられたのが、火遠理命(別名・彦火火出見命、山幸彦)。
御子らは順調に育ち、とくに火遠理命は皇室・皇統の柱、初代天皇・神武の祖父となる。
この事柄から、姫は子授け・安産・鎮火・子育て等の御神徳を持つ守護神とされ、当社を始め富士山本宮浅間大社に連なる全国の浅間神社を中心に、信仰を集めている。
出雲大社の御祭神・大国主神で、数多ある別名の一つ。若い頃の名称とされる。
記紀において、天照大神の弟神・須左之男命の六世の孫にあたるとされる(諸説あり)。「因幡の白兎」の段の後、二度も兄弟神たちに殺され、その度に他の神々によって蘇生された。
二度目に蘇った後、大屋毘古神の勧めで、須佐之男命が治める根堅洲国に赴いた。そこで須左之男命の娘・須勢理毘売命を妻とし、共にその国を逃げ出した。
その折、須佐之男命より兄弟神たちを追い出し、葦原中国(日本)を開拓・平定すべしと告げた。葦原中国に戻ると、兄弟神たちを退け、海の彼方からやってきた少彦名神と共に、国土開拓と平定を行ったことから、国土開拓の神とされる。
又、大己貴命には「偉大なる鉱穴の貴人」という意味もあり、火山の噴火口の神、洞穴・鉱穴の神ともされる。
また、記紀「因幡の白兎」の段において、鰐に全身の毛皮を剥がされた白兎に治療法を教えることから、治療・薬学の神としても信仰を集める。
その後、「天孫降臨」の段において、瓊瓊杵尊らに葦原中国を譲り、出雲大社に祀られることとなった。
当社で祭祀される所以は詳らかではないが、国土開拓が転じて、富士山噴火後の街の復興の御加護・御導きを祈念するものとも考えられている。
木花咲耶姫命の子であり、天照大御神の曾孫に当たり、初代天皇・神武天皇の祖父である。別名に火遠理命、山幸彦等がある。
木花咲耶姫命の火中出産の折、火が鎮まるときに生まれたことから鎮火の神として、また、記紀「山幸彦と海幸彦」の段から稲穂・穀物の神としても信仰を集める。
「山幸彦と海幸彦」は、自身・山幸彦が持つ猟具と兄・海幸彦(火照命、火闌降命)が持つ釣り針を交換して、それぞれ狩りと猟に出るところから始まる。
兄・海幸彦の釣針を失い、探し求めるために塩椎神(しおつちのかみ)の教えにより海宮(又は龍宮)に赴き、海神(豊玉彦)の娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚、釣針と潮盈珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)を得て地上へと戻る。
その後、何をしても上手くいく山幸彦に対し、何をしても悉く失敗する海幸彦は、その怒りや不満を山幸彦にぶつけるものの、潮盈珠・潮乾珠により返り討ちに遭ってしまう。そして、再び兄弟仲良くやっていこうと誓い合う話である。